麹造りと醴酒
『古事記』には応神天皇(『新撰姓氏録』によれば仁徳天皇)の御世に来朝した百済人の須須許里(すすこり)が大御酒(おおみき)を醸造して天皇に献上したという記述がある。『新撰姓氏録』によれば、この献上を行なったのは兄曽曽保利と妹曽曽保利の二人ということになっており、この二人を酒の神として祀る神社もある(参照:日本酒に関する神と神社)。
よって、そもそも須須許里なる人物が実在したかどうかも不明であるが、いずれにせよ百済からの帰化人が用いた醸造法ということであれば、当然それは麹によるものであったに違いない。しかし、だからと言って、この献上より前には、麹による酒造法が日本に存在しなかったということにはならない。
たとえば、『日本書紀』によれば、応神天皇19年に吉野の国樔(くず)が醴酒(こざけ)を献上したという記述が見られる。「国樔」は「国主」「国栖」とも書き、奈良時代以前の日本各地に散在していた非農耕民で、その特異な習俗のため大和朝廷からは異種族扱いされていた人々である。『延喜式』の記述によれば、その国樔が献上した酒でさえも醴酒という米と麹を使用して造る酒であったことがうかがえるので、麹による醸造法は当時既に全国的に普及していたと見るべきである。須須許里が実在の人物であったとしても、彼がもたらしたものはせいぜい酒造技術の向上レベルのものであったと思われる。
また、麹の種類の問題もある。現在中国や朝鮮半島で酒造用に用いられているのは麦麹(餅麹)がほとんどであり、その中身はクモノスカビやケカビが中心であるが、日本酒は米麹(バラ麹)であり、その中身は純粋なコウジカビである。朝鮮半島経由で麹による酒造法が伝えられたのであれば、それは当然麦麹であったはずで、日本にマッコリのような麦麹を用いた酒が存在した記録がない以上、朝鮮半島起源説は成り立たない。近年では、水田の稲穂に自然に発生したカビの塊、すなわち稲麹を利用したのが日本における麹の起源であるとする説も有力視されている。小泉武夫の調査によれば、問い合わせた25府県全部で、かつては稲麹をもとに麹を作っていたという話を聞いたことがあるという回答を得ることができたが、中にも山形県の麹屋からは、第二次世界大戦以前までは実際にそのようにして麹を得ていたという具体的な証言が得られたという。そこで、小泉は実際に稲麹を用いて酒造を試みた結果、日本酒に近い風味のものを作り出すことに成功している
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
日本酒には欠かせない麹造り。どのように出来上がったのでしょうか。
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